心の赴くまま、新しい景色を求めて|秦孝太郎
山梨県北杜市にスタジオを構える秦孝太郎さん。彼の撮る写真には、穏やかでゆるがない“あるがまま”のリズムが息づいている
鳳凰三山、甲斐駒ヶ岳といった南アルプスの山々を間近に望む北杜市で、写真や動画、ヘアカットのスタジオ〈GOOD SENSE〉を営む秦孝太郎さんと理恵さんご夫婦。特に地縁があったわけではないが、ここに居を落ち着けて6年になる。彼らはどんないきさつで、ここにスタジオを構えることになったのか。数日前に降った雪が真っ白に大地を埋め尽くした冬のある日、秦さんご夫婦を訪ねた。
元々借家だった家を買い取って改築したという秦さん夫婦の自宅兼スタジオは、木の香りに包まれた寛げる空間だ。それはふたりによってDIYで改装されたもの。特に北海道は美瑛の原野で育った孝太郎さんにとって、家を自分の手で作り上げるのは当たり前のことだった。大きな薪ストーブが柔らかく温めてくれている室内には、ハイキングや登山のギア、スケートボードに雪板(スノーボードではなく自分でシェイプしたシンプルな雪遊び道具)、パーツを集めて組み上げた自転車といった遊びの道具、そして仕事道具であるカメラ機材が溢れている。融通無碍なスタイルで垣根を取り払って遊ぶ秦さんのルーツはどんなところにあるのだろう。理恵さんが淹れてくれた温かいコーヒーを飲みながら話を伺った。
トロントでメッセンジャーになる
孝太郎さんの人生はワーキングホリデイで訪れていたカナダのトロントで、自転車メッセンジャーを始めたことで大きく動き出した。通っていた英語学校を1ヶ月で辞めて、あてがあるわけでもないのに自転車を買ったのだ。
「まずは街でパンク修理をしているメッセンジャーに声をかけてみたら、ヨークストリートとアデレードストリートの交差点にメッセンジャーが集まって待機してるよって教えてもらったんです。そこで片っ端からどうしたらいいか聞いてまわった。でも英語ができないから何を言ってるかわからなくて、あるメッセンジャーには“お前はゲームオーバー”だって言われた。それが無茶苦茶悔しくて」
孝太郎さんはそれでも挫けず、メッセンジャーのひとりと友達になり、彼の後をただただ自転車でついてまわった。そうしてコミュニティーに徐々に溶け込むことで、やがて空いたポストを紹介されて念願のメッセンジャーになることができた。そして翌年、シカゴで開かれたメッセンジャーの祭典〈サイクルメッセンジャー・チャンピオンシップ2012(CMWC2012)〉に足を運ぶことになる。それは、多くの日本人メッセンジャーが参加して好成績を残した大会だった。
「カナダのチームみんなでシカゴに行って。そしたら、YUKIさん(HERENESS MAGAZINE『BIKE AS FREE』)、SHINOさん、MASSAさんといった雑誌なんかで見て憧れていた日本人のメッセンジャーもたくさん来ていた。そこで彼らと知り合いになって、僕のことを面白がってくれて。日本に帰るとなった時には、“どこで走るの?”って感じで仕事の面倒も見てくれました」
孝太郎さんはそんな話をしながら、本棚からスクラップブックを抜き出すと、メッセンジャーを始めた当時の写真を見せてくれた。そこにはサイクルメッセンジャーたちのリアルな日常とイキイキとした表情が残されている。それは間違いなくコミュニティーに深く入り込んだ彼でないと撮ることのできない距離感の写真だ。
「高校生の時から写真を撮ったりはしていたんですけど、カナダに行った時にちょうどSNSが始まった。だから言葉を喋れなくても写真が撮れるとみんなどこでも連れていってくれる。あいつを連れていったら写真を撮っておいてくれる、って感じで。そういう風にして、写真は言葉のような、コミュニケーションのツールのような感じで始まっていたんです」
軽やかに移動して それが表現に繋がっていく
日本に戻った孝太郎さんは青山ファーマーズマーケットで理恵さんと出会う。けれど、ふたりの東京での日々は忙しいものだった。
「仕事だからといって頑張りすぎるのも良くないなって思っているんです。自分のために時間を忘れて没頭できるということはあるけれど、お金のためにと思いながらやらなければいけないのなら、それは違うかなって。理恵も美容師を頑張っていたけれど、朝早く出かけて夜中に帰ってくるような生活だった」と孝太郎さんは振り返る。
理恵さんも「急に自分がすごく狭い世界にいる気がして。それで、私は一大決心をして海外行く!と言ったら、彼も、“じゃあ俺も行こうかな”って。そう、ふわっと一緒にロンドンへ行ったんですよ」
そんな気負わない雰囲気が孝太郎さんにはある。ふたりはロンドンへと拠点を移し、知り合いのいたメルボルンを経由して、自然のあるところが良いと北杜市にスタジオを構えることになった。
「あんまりはっきりON/OFFをつけるとちょっと疲れちゃうから、仕事も遊びも同じ気分でやれるのが良いと思ってます。もちろん仕事としてきっちりやるのは前提で。人との関係性もこの人は友達、この人は仕事の人とか分けてしまわないほうがいい」
そんな孝太郎さんの穏やかで、ゆるがない“あるがまま”のリズムが、彼の撮る写真には息づいている。
こどもの誕生 でも遊ぶことは変わらない
「理恵とは旅の計画について、ああでもない、こうでもないってずっと喋ってることが多いですね。行きたいところは割と一致しますよ。どちらかが提案して、それいいねって」
一昨年も家のある北杜から日本海に出る新潟県糸魚川まで歩いたそうだ。日本の代表的な“塩の道”である長野県松本から糸魚川までを歩こうという計画だったそうだが、北杜から松本まで電車で行くのも勿体ないと、家から日本海まで自分の足で歩いた。その旅は〈WALK TO THE SEA〉というZINEにまとめられている。自由なスタイルで旅をして遊んで、それが表現に繋がっていく。
そんな移動の中で役に立つのがウールだという。
「ベースレイヤーには、ウールが一番いいなって思います、本当に。登山などに行って降りてくる頃になって、ポリエステルのシャツから匂いが上がってきたりすると嫌になっちゃう。理恵も職業柄やっぱりシャンプーの香りとか気にするから、匂いがないって本当に素晴らしい。それにハリのある質感が続くのもいいですよね」
〈WALK TO THE SEA〉の旅が終わる頃、理恵さんに体調の変化があった。実はこの時、こどもを授かっていたのだ。生まれてきた赤ちゃんはシュリちゃんと名付けられ、このインタビューの時には近くのベッドですやすやと寝息を立てていた。こどもが生まれて遊びもお預けかと思いきや、昨年は美しい稜線が見たいと、シュリちゃんを背負子に載せて谷川岳に登ったそうだ。この春には、しまなみ海道を自転車で走破する計画も立てている。もちろん、シュリちゃんも自転車用のチャイルド・カートに乗せていくつもりだ。
「なんか新しい景色を見るということがすごい自分たちのリフレッシュメント。やばい景色を見に行きたい。自分たちがそこに行くまでに費やしたエネルギーも含めたその景色っていうものだから」
〈着用アイテム〉
モデル身長:173cm
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