CALM TALK 07 誰かのために、の先にサステナビリティはある |ベイン理紗(モデル)
中央高速道路を須玉ICで降りて谷間を瑞牆山方面へと登っていく。カーブが続く山道を進むと、辺りの風景はまるでタイムスリップしたように昔の田舎の風景に変わる。山の姿を静かに映すみずがき湖を超えると、たどり着くのが日影地区だ。標高1000m、人口30人のこの集落に戦前からある小学校分校を活用した複合施設〈0site〉はある。
モデルのベイン理紗さんは最近、友人が営むこの施設に通うようになった。コロナをきっかけに食の本質を探りたくなり、食べ物が作られる現場を見たくなったからだ。
理紗さんは、美術大学に通いながらモデルとして活動し、最近は媒体などを通した発信も積極的に行っている。オンラインメディア〈NEUT〉では、彼女の連載『FEEL FARM FIELD』を通じて「五感を農から広げていく」というコンセプトで、彼女が畑を通じて感じたこと、発見したことを共有している。
「きっかけはコロナが大きくて。コロナが始まって、みんなが犯人探しというか、どこに責任をおくか、原因を見つけようとしていた。ウイルスが食肉市場から発見されたからといってアジアや中国を責めるんじゃなくて、目の前の食事がどこから来たのかをちゃんと深掘りしたり、根っこの部分を知れば、罵り合うことはなくなるんじゃないかと思い始めて。
じゃあ、自分がそれに対してどうやったら向き合えるか。自分がこれから先、自信を持ってちゃんと生活するために食事を見直そうっていうのが一番最初のきっかけです。 でもそこからどうやってやったらいいか分からなくて。とりあえずヴィーガンを取り入れてみたり、ちっちゃい家の庭でトマトを育ててみたり」
山梨県の山奥で土に触れる
そんな時に声をかけてくれたのが、友人の古山憲正さんだった。しばらく海外を旅しているうちにイスラエルの集産的な共同体〈キブツ〉に滞在し、その在り方に感銘を受けた憲正さん。北杜市須玉町・増富地区の日影集落に縁ができ、廃校を使用する許可を得て、ここでキャンプ場やイベントスペース、畑などを運営する〈0site〉を立ち上げた。
「最初はオンラインで、今こういうことを考えてて、食事に関してはもっと知らなきゃいけないことがある気がするっていう話をして。食事を通して社会は繋がってるよねっていうことをずっと話してて。そうしたら憲正が、山梨県でコミュニティを作ることとか、自給自足ということに重きを置いた活動を始めたので、私もそこに乗っかってなんかやりたいって事で、それが畑だったんです」
はじめは地域の農家さんの手伝いをするところからはじめた理紗さん。最初は3畝のさやえんどうの収穫に3時間もかかったという。けれど、食べ物が作られる現場に触れて、気づいたことがたくさんあった。
「その農家さんはご夫婦なんですよ。もう莫大な面積を夫婦二人で管理してる超バイタリティ高い人たちで。ずっと生き物と向き合うということを365日24時間考えてやってる農家さんはすごいなって。私たちが3秒とか4秒で口に運ぶものを何ヶ月もこうやって向き合って作ってる。私は何やってるんだろう、みたいな感じになったのが一番最初の気持ちというか感情。こんだけ考えてやっている人がいるんだったら、私もちゃんとご飯を食べるっていう事をもっと考えなきゃなって今回改めて思ったんです」
こうして地域の人との交流が生まれるうちに、理紗さんの関心は徐々に食そのものから、食を支える人や地方、そして食べる人たちや都市との関係にシフトしていった。
「この場所の環境がどれだけ私が住んでる都心とかけ離れてるかをすごく気にするようになりました。もっと、密接に関わるべきだし、農業は知らなきゃいけない一番根っこの産業なのにあまりにコネクションがない。コネクションを見る事が出来ないってことに疑問を持つようになった。
ご飯を食べることについて知るところから、人との繋がりだったりだとか、地方と都市の繋がりの薄さだったりとか、知らないことが多すぎるということに考えがセットされていった」
いまは理紗さんも憲正さんも畑をお休みし、イベントやメディアでの発信などを通して山梨県と都市の人を繋ぐ活動を始めたところだという。〈0site〉にキャンプ施設を併設したり、都市から人が訪ねてきたくなるようなイベントを行っていくそうだ。〈0site〉のWEBサイトやSNSでこれから発信される情報に目を配っておきたい。
病を経て未来や社会のことが自分ごとになった
理紗さんがこうした活動に至る背景には、コロナ以前にもうひとつ個人的な事情があった。
「2018年9月、大学に入ったタイミングでがんが見つかって、それで結構落ちてたんですね。心身ともに疲れ果てちゃってて。ココロ空っぽっていう状態が数年続いてる状態でコロナになって、自分のことで精一杯。自分が楽しむとか自分がどうにか生きるとか、もしくは、どうにか生きるっていうシリアスな部分を取り除きたくってただただ、なぁなぁに生きてるっていう感じがすごく強かった。
でも、やっぱり自分が知りたいこととか、自分がやりたいこととかに関して、真っ向から調べ上げるとか、その場所に行くってことは以前からずっとしていた。それを改めて周りを気にせずに自分のやりたいことや考えていることを言っていこうと思ったんです。
いつ死ぬかわからないコロナなどの現状がある中で、会いたい人に会いに行くとか、やりたいことをやるとか、知りたい事を知るとか、言いたいこと言うとかっていう事を、もっと自分が表に立ったり発信できる立場にいるんだったら、ガンガンしていくべきだよねって思って。だからそれを再開した」
これまでは病のことも自信を持ってオープンに語ることが難しかったという理紗さんだが、先日自身の連載でそのことも初めて書いた。
「私の連載のところに明言はしてないんですけど、病気のことを初めて書いて。みんなの反応も可哀想ってことではなくて、逆に納得してくれた。だから理紗は考えてるんだねって。みんなすごく、伝えたことで生きるということを意識してくれてると思うから」
来年、大学卒業を迎える理紗さんは、食と農と人との関係、そしてこれまで関心を持ってきた芸術の場作りを深めるためにヨーロッパ留学を計画している。先日もフランス、ベルギー、オランダ、ドイツを巡って、現地の大学や美術館、ギャラリー、農園などを視察してきた。
「コロナをきっかけに大学を休学したり、畑を始めたりもしたんですけど、自分がこれから先そういうモノをもっと伝えるっていうことをしなきゃいけない。それには自分自身も勉強しなきゃいけないって思い始めてからは、教育だとか成長していく過程で学べる環境や場所というのを作りたいって考えていて。
やっぱり自分の中で農に関わりたいとか食に関して関わっていきたいってすごく考えているから、今は大学は芸術系なんですけど、何らか農についてしっかり勉強する機会をこれから作って、じっくり時間をかけたいなぁって思ってます」
誰かのために、の先にサステナビリティはある
最後に今回着用してもらった廃棄服から生まれた〈CALM TOP〉と理紗さんの考えるサステナビリティについて聞いてみた。
「私はサスティナブルを目的に何かをするっていうことを自分の中ではしないようにしていて。それは、やっぱり持続可能なこととか、それこそ社会のこととか環境のこととか食のこととか、自分の身体のこととか、自然とちゃんと考えたら今のようにはなってないですよね。っていうことをすごく思っている。
それこそ、今回の企画もサスティナブルのために洋服を作るんじゃなくて、洋服をみんながもっとより良いカタチで作るために、結果的にサスティナブルが存在するっていう、そういう考え方がすごく好き。サスティナブルっていうものを意識するっていうより、誰かのためにって、その先にサスティナビリティがあるのが、みんなにとって一番幸せなことなのかなってずっと頭の中で思ってます」